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■ 徳 島 堰
 
 


 徳島堰は、箱根用水(神奈川)、柳川堰(福岡)と並び日本三大堰の一つです。

 釜無川の右岸地域は、甲府盆地の北西部、南アルプス連峰の麓に位置し、釜

 無川の段丘扇状地と御勅使川扇状地にまたがり、北部が水田地帯で、南部は

 春から秋にかけてたくさんのの果樹が実ります。この地域に欠かすことが出来

 ないのが延長約17キロメートルに達する県内最大の農業用水路「徳島堰」です。

 この徳島堰は、江戸深川の人「徳嶋兵左衛門」により、上円井(韮崎市)から富

 士川舟運の起点、鰍沢(南巨摩郡鰍沢町)までの水路を開削し、荒地の新田開

 発と甲信駿河三国(現在の山梨県、長野県、静岡県)を舟運で結ぶという、遠大

 な構想から計画され、今から約340年前の1665年(寛文5年)2月に兵左衛門の

 私財により工事が始められました。


 水路のほとんどが土水路で、石積みにより取水口を作り、

 河川など数カ所の難所を横断し、2年後の春には飯野南

 橋(旧白根町)まで通水させたのですが、この年に兵左

 衛門は、工事から突然手を引き、後の工事は甲府城代に

 引き継がれ、1670年(寛文10年)に工事が完成しました。

 兵左衛門の舟運構想は実現されることはなく、何れに姿

 を消したのかは不明ですが、この工事の完成により、豊

 かな水が流れ、いたるところに美田の開発が進み、地域

 農民の生活は飛躍的な発展をとげました。この「徳嶋兵

 左右衛門」の功績を称え「徳島堰」と命名されて以来、

 歴史の中で何度もの復旧や大改修が行われました。昭和

 に入り、上水道の整備や畑地かんがい施設の整備が実

 施され「月夜でも焼ける」と言われた干ばつ地帯を潤す

 ことが可能となり、現在も釜無川右岸地域の農業や生活

 を支えています。

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